桜木町紅葉ヶ丘

 小社がある紅葉ヶ丘は、なかなかいい場所です。改めて言うこともないですが、越してきた頃とはまた別の感興が湧いてくる。
 丘の上にあるので、駅から歩くのには少々きつい。でも、日により、季節によって、空気の色がちがい味がちがう。丘の上から、ニョッキリと立つランドマークタワーが見える。人工のものではあるが、日ごとの空気やたなびく雲に彩られ、これも、なかなかの風情だ。仕事に飽きてきた頃、ベランダに出て端っこまで行けば富士山だって見える。夕陽に映える富士の姿に頭もいつしかスッキリとし、夜の部の仕事に入ってゆく。
 台風が過ぎた日の朝は青空だった。空の青がこんなに強かったかと不思議な気がした。じっと見ていると、青が青でなくなり、瞼の裏の色が溶け出して、悲しいような、甘酸っぱいような、ほんの少しエロティックで、今日が何かは分からぬが大事な節目の緊張状態であるかのごとく、色々な気分が錯綜し、落ち込んでみたり弾んでみたり、変な眩暈がしてくる。
 名付けようのないこんな感じがいい。母親に言っても分かってもらえそうもない、おとこの寂しさだ、そうだよ。
 「かあさん、さびしいよ」と言ったら叱られた。なにか過ちを犯したわけでもなく、ただ「さびしい」と言っただけなのに。でも、子がさびしくなるのは、してはいけない過ちだった。

人間でいるという状態

 タワーレコードでもらってきたブルース曲を紹介するパンフレットに、マーティン・スコセッシ(ロバート・デニーロ主演『タクシー・ドライバー』の、あの監督)の言葉が載っていて、そこに、「人間でいるというのがどういうことか、人間でいるという“状態”がどういうものか――そうした問題の核心にいきなり行き着ける。それがブルースだ」とあって、へえ、面白いことを言うなと思った。
 喜怒哀楽という言葉があるように、人間にはいろいろな感情がある。三次元空間に喩えれば、前後左右に上下を加えた6方向の組み合わせみたいなものだろうか。感情に支配される、という言い方もあるから、感情は、必ずしも人間にとってあまり気持ちいいものではないかもしれない。その辺のところから歌にまで発展するのかな、と、ぼくは思ってきた。
 ところが、人間でいるという“状態”ということになれば、ん? と考えてしまう。なぜなら、人間でいるという“状態”を改めて考えてみれば、ほとんど無に近い気がするからだ。
 原因らしきものはあるにしても、喜怒哀楽というような起伏の激しいものではなく、なんとなくやる気がなかったり、なんとなく嬉しかったり、なんとなく悲しかったり、なんとなく穴が開いているみたいな、それこそ、なんとも輪郭の定まらぬ、夕陽をポケーと見たりする“状態”が、1日の、1週間のほとんどの時間と思うからだ。あとは眠っているとか。
 もし、そういう“状態”をもブルースが歌うとすれば、それは、面白いことだと思う。

煙が出た!

 我らが編集長・武家屋敷ノブコが物を大事にすることはつとに有名。代表的な事例としては、彼女の机の上にあるちびっこ鉛筆のケースが挙げられる。
 さて、今回みなさまにご紹介するのはドライヤーであります。以下は昨日の昼食時の会話。
 「先だって、旅行券が当たるというJRの立ち食い蕎麦屋のハガキを送ったけれど、なしのつぶてよ、ああいうのはなかなか当たらないものだねえ。今度、おれ、ブルースのCD数枚買ったら、景品がもらえる応募ハガキが付いていてさ、必要事項を書いて送ったよ。1等が10万円の旅行券というのは魅力だろ、でも、1等賞は一人だけだし、確率が低すぎるよ。武家屋敷はこれまでになんか当たったことあるの」
 「小学校の5年か6年のとき、雑誌に付いていたハガキを送ってドライヤーが当たったことがあります」
 「へえ、凄いじゃん。でも、小学生じゃ、ドライヤー使わないだろ」
 「ずっと持っていて、高校生になってから使いました」
 「へえ、それから」
 「大学は東京だったから、持ってきました」
 「へえ」
 「就職してからも大事に使っていたんだけれど、あるとき、急に熱が出たかと思ったら、煙まで出てきてとうとう壊れてしまった…」
 「……凄いねえ」
 「何がでございますか?」
 「さすが武家屋敷、と思ってさ」
 「は?」
 「煙が出るまでドライヤー使うなんて、おれ、初めて聞いたよ」
 「そうですか。あれはたしか外国製のもので、とても頑丈、素敵なドライヤーでしたから」
 「ふむ、にしてもさ」
 「いいドライヤーでした」
 「いいドライヤーか」
 「はい」
 「武家屋敷の、その、物を大事にするこころというのは誰かから教わったものなの。それとも、お母さんがそういう人だとか」
 「母はよく、安物買いの銭うしないと言っていました。高くてもいい物を買いなさいと…」
 「それで、ドライヤーも煙が出るまでか。ちなみに、そのドライヤーが壊れてからはどうしたの」
 「日本製のにしましたが、そんなに長持ちしません。何個か買い換えています」
 「日本製のも煙が出るのか」
 「いえ、煙は出ません。煙は出ませんが、壊れる時には壊れます」
 エレベーターを降り、颯爽と前を歩く武家屋敷の背中がひかり輝いて見えた。
 以上、物を大事にする伝説の編集長・武家屋敷ノブコの発煙ドライヤーの一件、ご披露させていただきました。脚色一切なし、発言の内容そのままの記述であります。

リース契約

 長期にわたる賃貸しをリース、短期のものをレンタルという、と、辞書にある。たとえば機械はリース、ビデオはレンタル、貸し出し期間の長短の問題というわけだ。
 さて、小社は先月で5周年を迎えたが、機械のリースはだいたい5年。リース期間が終わったらどうなるか。理屈としては、借りたものだからリース会社に返さなくてはならない。しかし、5年も過ぎた機械が今どき果たして商品価値があるか、という実際的な問題もあり、昔なら、期間が終わってもそのまま置かせてもらう場合が多かったのではないかと思う。
 ところが、聞くところによると、リース期間の終えた物件の回収が最近はとみに厳しくなっているらしい。中古市場と海外市場の拡大がその理由という。日本製の最新式コピー機の値段が日本国内の3倍という国もあるらしく、だとすれば、中古で充分という発想も頷ける。リース会社にしてみれば、日本国内でリースした機械を一定期間経た後に引き上げ、今度は海外へ売りつけるわけだから、二度美味しいことになる。
 てなことで、昔のように、リース期間の終えた機械をそのまま置いておくわけにはいかない。メンテナンス費用も馬鹿にならないし。
 5年過ぎた機械の再リース契約を結ぶとか、購入しちゃうとかの選択肢もないわけではないけれど、もろもろ考え、ルールどおり、返すものは返して新商品を導入しリース契約を新たに結ぶことにした。
 この、「もろもろ考え」るに際し、改めて言うまでもないが、経済学部で勉強したことは何の役にも立たない。マルクス経済学だったし、余計。

至福のとき

 「春風倶楽部」の記念すべき第10号の特集は「最高エッチ!」。
 世の中、エッチ、エッチのオンパレードなわけだが、エッチって、そもそもなんなのだ。コンビニで売っているおかず(それはそれで、ぼくも好きだけど)みたいなそんな軽軽しいものなのか、という疑問があったから、このテーマを設定し原稿をお願いした。
 いち早く、谷川俊太郎さん、飯島耕一さんから原稿が届く。それが、お二方の原稿とも本当に可笑しい。腹から笑い、笑いすぎて涙まで出て、それからしみじみと、自分を大事にし人を大事にすることの体験の重みとでもいったものが感じられ、ああ、凄いなあと思った。
 言葉にならない、言葉に出来ないものが確かにあるということ、しかし、言葉を尽くしそれに肉薄することにより、言葉にならない出来ないものとことは、ますます荘厳さを増していくのかと考えさせられた。
 言葉は言葉にしか過ぎなくても、こういう素敵な原稿を読ませてもらうと、改めて言葉の凄さ、言葉の在り処について考えさせられる。情報に還元されない、紙に印刷された本で持っていたい言葉たちが盛られた本、そういう本づくりは、なんといっても愉しいし、これからも続けていきたい。
 小社6年目の始まりの時にあたり、言葉に関わる仕事の太い道を示されたようで有り難かった。

ゴキジェットプロ

 洗濯物を取り込もうとしてベランダに出たら、蔓梅モドキの鉢の下に隠れるようにして、一匹のゴキブリがいた。
 一旦履いたサンダルを脱いで、台所の戸棚からゴキジェットプロを取ってくる。この殺虫剤が出た当初はほんとうに感動した。スプレー式のキンチョールなどゴキブリには全然効かぬ。仮にキンチョールの沼があったとしても、ゴキブリは鼻で笑ってスイスイ泳いでいくだろう。したがって、かつてゴキブリをやっつけるには、踏むか、叩くか、はたまたゴキブリホイホイ的な強力接着剤でくっ付けるかしかなかった。
 そこに、ゴキジェットプロが登場したのである。積年の恨みを晴らすかのごとく、ゴキブリが出たとなったら、シュッ! また出たとなったらシュシュッ! いやあ、ほんとに気持ちよかった。ウォ〜〜!! もうダメ! そんな声が聞こえてきそうな感じで、最後、あのにっくきゴキブリがパタッと倒れ、御陀仏となる。
 ところが、最近とんとゴキブリにお目に掛からなかったので、必然、ゴキジェットプロの威力を発揮する場面がなくなっていた。まさか蟻にゴキジェットプロでは大げさ過ぎる。
 と思っていた矢先、久しぶりに現れた。ゴキブリ。なんとなく惜しい気がしないでもないが、一匹現れると、背後に数十匹いるといわれるゴキブリのことゆえ、このまま逃がすわけにはゆかぬ。
 久しぶりに使うゴキジェットプロなので、具合を確かめるべく、医者が注射するとき空中に、ピ、と液を発射する要領で試し打ちをしてから、よーし、と、今度はゴキブリ目掛け思いっきり発射した。シューーーー!!!
 お、なんだなんだなんだなんだなんだなんだ、こ、こ、これは、く、く、く、くるぢいいいいい!!! お、の、れ、ニンゲン、めっ!
 と、言ったかどうかはわからないが、くるっと仰向けになって動かなくなった。触覚が枯れススキのように風に揺れた。

ブルーズ最高!

 2003年が「ブルーズ生誕100年」とかで、マーティン・スコセッシ制作指揮のもと、7名の映画監督がブルーズを題材にした映画を作った。
 先日、ヴィム・ヴェンダース監督の『ソウル・オブ・マン』を観、初めて知るブルーズマンたちの音楽を堪能。ギター1本で人生の困難や悲哀を歌うブルーズが、ゴスペルとは出生を異にすることを初めて知った。
 エリック・クラプトンとキース・リチャーズが共にリスペクトするロバート・ジョンソンはじめ、サン・ハウス、ハウリン・ウルフ、ベッシー・スミス、ジョン・リー・フッカー、バディー・ガイ、マディ・ウォーターズ、B.B.キングらのブルーズは、ぎりぎりボリュームを一杯にして聴くもよし、ぎゅっと絞って子守唄がわりに聴くのもまた一興で、これぞアメリカの音楽! と思う。歌詞がわからないのに、鳥肌が立つ歌がいくつかある、リズムと、なんといってもあの声、声。
 ブルーズだけは日本人に真似できない。ロックなら、いろんな楽器を駆使し、技術に長けた日本人はそれなりマスター出来ようが、ギター一本で人生の酸いと甘いをスロー・バラードで表現するブルーズは、アメリカならではの音楽と思われ、水田稲作が基本形の日本人にはどうしたって無理だ。高橋竹山の津軽三味線や瞽女唄を外国人にやってみろというようなもの。以前、「たけしの誰でもピカソ」にブルーズを演る親子が出ていたが、観ているほうが恥ずかしくなった。
 タワーレコードでもらったブルーズの解説書(文・吉田淳)によれば、アメリカ南部で生まれたブルーズは、1920年代に入り徐々にスタイルを確立していったのだという。ミシシッピ州デルタ地帯のプランテーション農場がその舞台だった。ということは、どの国においても多くの歌がそうであるように、ブルーズも、酷薄な労働に疲れた心と体を癒すためのものだったのだろう。
 ん、憂歌団を忘れていた。憂歌団はまぎれもなく日本のブルーズ・バンドだ。ブルーズを外形でなく、こころをまなび、日本人として共鳴できる要素をとらえ、そのエッセンスを静かに発酵させて出来た歌たちだ。そうそう、憂歌団を忘れていた。